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東京地方裁判所 昭和36年(わ)2337号 判決

主文

被告人高園善次を禁錮一年六月に処する。

被告人梶田篤を禁錮一年に処する。

被告人両名に対し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人両名の平等負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

第一  被告人らの経歴

被告人高園善次は、佐賀県立小城中学校中退後、上京して叔父の経営する進化製薬研究所を手伝い、昭和二二年叔父の死亡後は、その事業一切を継承して、同二九年六月には進化製薬工業株式会社を設立してその代表取締役となり、同三二年一月には東京ヒートシーリング有限会社を設立し、その代表取締役を兼任し今日に至つたものである。

被告人梶田篤は、高等小学校卒業後、福岡県の日鉄二瀬工業所の電気工をしていたが、同二八年七月上京して義兄である相被告人高園の事業を手伝い、進化製薬工業株式会社発足後は、取締役兼工場長となり、同三三年九年からは株式会社津村順天堂の社員として勤務し、現在は同会社工場の製造課主任の地位にある。

第二、被告人らの進化製薬工業株式会社における業務内容等

進化製薬工業株式会社は、創立以来エスエス製薬株式会社、帝国臓器株式会社などから委託を受け各種薬品錠剤等の製薬加工等の業務を行い、本件当時の組織は、被告人高園が代表取締役社長、村上庄蔵が専務取締役、被告人梶田が取締役兼工場長として経営の衝にあたり(他に名前だけで実際の業務を執行していない取締役が三名いる。)、事務関係に営業係長八幡政登ほか二名、顆粒室関係に係長板谷章ほか二名、臨時工一名、選球室関係に主任山下サダほか四名、糖衣室関係に係長心得平栄ほか四名、臨時工一名が勤務し、被告人高園は社長として同社の経営に携わると共に、人事並びに同社工場の諸設備、原材料、製品等に対する包括的管理を行う地位にあつたが、同時に長年の製薬業務についての経験から、時折みずから顆粒、打錠等の作業に従事し、又は工員の指導監督をもすることがあつた。

被告人梶田は同社の取締役兼工場長として、経営に参画すると共に、工場全体の管理運営、原材料や製品の保管、作業の指揮監督等を行う地位にあつたほか、糖衣室関係の作業にも従事していた。

第三、本件火災発生当時における同会社工場内の状況等

進化製薬工業株式会社は本件火災当時、事務所及び工場を東京都大田区雪ケ谷町八六二番地に有し(当時の被告人高園の居宅と同敷地内)、その構造は木造二階建工場兼事務所一棟(総床面積約二三一平方米、ただし二階作業場約三三平方米は東京ヒートシーリング有限会社が使用していた。)で、階下は事務室、顆粒室、乾燥室、打錠室、更衣室、倉庫、選球室、糖衣室等に分かれ、顆粒室と乾燥室との間はブリキ製の片開き扉のほかはベニヤ板壁によつて仕切られており、顆粒室の南東側はガラス引き戸を経て糖衣室方向に通路が延びており、その通路顆粒室寄りのコンクリート床上には鉄製金庫、その傍ら(後記ガスバーナーから直線にして約二米六〇糎の位置)にはメチルアルコール局方アルコールの一八リツトル入ブリキ缶が四・五缶積み重ねられ、その他ベンゾールの缶などもあつた。又、同所に接近して置かれた木製棚上には不良品や半製品等の薬品の入つたブリキ缶が並んでおり、血圧降下剤エスマルチン錠、強力エスマルチン錠の不良半製品を入れたブリキ缶も少なくとも三缶(エスマルチン錠は少なくとも七ないし八万錠、強力エスマルチン錠は少なくとも八万錠で、これらには極めて爆発性の強い六硝酸マンニツトが少なくとも六・五瓩含まれている。)はあつた。乾燥室はその北東側即ち顆粒室寄りに薬錠乾燥用熱風炉を設置し、そのガスバーナーの火口は露出している。そして熱風炉の西南方に乾燥器二台が置かれていた。本件当日は、午前中顆粒室において被告人高園、滝沢肇、山田阡孝らが通経剤アロミンの原料の調合、顆粒作業をし、午後からは右アロミンの熱風乾燥作業が行われた外滝沢、山田、板谷章らが顆粒錠剤の選別、打錠等の作業をなし、事務室には八幡政登、田中京子が、糖衣室には被告人梶田、雪嶋徳司らが、選球室には山下サダ、柏原孝子らが、それぞれ執務していた。

第四、被告人両名の犯罪事実

被告人高園は、東京都大田区雪ケ谷町八六二番地所在進化製薬工業株式会社の代表取締役社長として、前記第二記載のとおり同社工場の建物、諸設備、原材料、製品等を包括的に管理すると共に、製薬業務を指揮監督していたもの、被告人梶田は同会社の取締役兼工場長として、被告人高園の命を受けて前記第二記載のとおり同社工場の諸設備、原材料、製品等を直接管理すると共に、工場内の製薬業務についても指揮監督していたものであるが、前記第三記載のような状況下において医療品製造原料たるメチルアルコールおよび局方アルコールは極めて引火性が強いので、これらアルコールを火気を取り扱う作業所からほど遠くないところに容器(一八リツトル入ブリキ缶)のまま保管する場合には、右アルコールが容器から漏洩するところのないよう厳重監視し、万一漏洩した場合には、漏洩したアルコールは勿論、気化して空気中に滞溜したアルコールについても屋外に排出する等してこれらが引火することのないような措置を講じ、もつて火災を未然に防止すべき業務上の注意義務があるにも拘らず、被告人高園は昭和三三年七月一五日午前、同工場顆粒室において工員山田阡孝に手伝わせて通経剤アロミンの原料の調合、練り合せ、顆粒等の作業をした際、前記顆粒室南東側通路の金庫脇に置かれた局方アルコール入の容器から同アルコールが漏洩しているのに気付き、折から同室に来合せた被告人梶田に対し、同アルコールを別の容器に入れ換えるよう指示し、被告人梶田は板谷章と共に同アルコールを顆粒室内の南東隅流し台上で別の容器に入れ換えたのであるが、被告人両名はともに、右容器から漏洩しコンクリート床上に滞溜していた相当量のアルコール、およびこれより気化して同所付近の空気中に滞溜していたアルコールに気付かず、これらアルコールを屋外に排出する等の処置を講じないまま慢然放置した過失により、同日午後四時過ぎころ、前記通路上に漏洩していた局方アルコールが気化して付近一帯に滞溜し、これが顆粒室を経て乾燥室内まで帯状に廷びて、同日午後一時ころから点火使用中の前記薬錠乾燥用熱風炉のガスバーナーの火より引火せしめもつて火を失し、瞬時にして通路上のアルコールを着火燃焼させると共に、前記棚上の強力エスマルチン錠およびエスマルチン錠等を爆発的に燃焼させ、よつて工員鈴木元子ほか三二名が現存する同会社の木造瓦葺(一部亜鉛メツキ鋼板葺)二階建工場兼事務所一棟(約二三一平方米)を焼燬し、その際右火災により同工場内で作業中の別紙(一)記載のとおり工員鈴木元子(死亡当時一八年)ほか一二名を焼死させ、別紙(二)記載のとおり工員滝沢肇(当一八年)ほか一九名に同記載の各傷害を負わせたものである。≪別紙省略≫

(証拠の標目)≪省略≫

(証拠の説明について)

一、発火原因について

当裁判所は、本件の発火原因について、判示認定のように容器から洩れた局方アルコールがコンクリート床上に滞溜すると共に、気化し同所付近に滞溜し、これが顆粒室を経て乾燥室内まで帯状に延びたため同日午後から点火使用中のガスバーナーの火から引火したと認め、検察官が第二八回公判期日に追加訴因として主張した、右漏洩のほかにも乾燥器内で乾燥中のアロミン錠剤中よりメチルアルコールが気化し、付近一帯に滞溜していたとの事実はこれを認めず、弁護人ら主張のガスバーナーの火が漏洩アルコールに引火する可能性はないとの点を排斥して可能性ありと認めたので、以下これらの点につき若干の説明を加える。

(一) 局方アルコールの漏洩および気化について

本件火災当日、金庫脇に置かれたアルコール入り容器(一八リツトル入りブリキ缶)から局方アルコールが洩れていたことは明白であり(田中京子の証言、板谷章の証言、梶田の検察官調書、高園の司法警察員調書等)、しかも①右アルコールは数日前から洩れており、事務員田中京子が最初に気付いたときは、容器を包んだ包裁紙が下から四分の一位が濡れており、二度目に見たときはますますひどく半分位が濡れていたので板谷章に注意した(田中京子の証言)が板谷は床に水が溜つているためであろうと軽信しなんら処置せず(板谷章の証言)、結局火災当日、被告人高園がこれに気付き梶田らに指示して入れ換えるまで放置し、その間漏洩し続けていたと認めざるを得ないこと、②右容器が未使用のものであつて(板谷章の証言等)、使用の際に洩れたものではないから、右の缶洩れは、容器自体の損傷によると考えられるところ、かかる事態が発生することは決してありえないことではないと考えられること(高園も輸送中に容器に損傷を来たすおそれのあることを認めている―同人の検察官に対する昭和三六年三月六日付供述調書)、③当時、同付近のコンクリート床は水が溜つたように濡れていたこと(板谷らの証言、梶田の検察官調書等)などから本件火災当日には相当量のアルコールが洩れ、床上に溜つていたものと認めざるを得ない。

そうして、当時は夏でも気温も相当に高く(気象台長の気象回答書)、当日、午後一時ころからはガスバーナーの点火により、顆粒室内および通路付近は、この輻射熱等で相当に気温が上昇していたと認められる(板谷章の証言)から、もともと揮発性のアルコールが温度の上昇と共に気化し、付近に滞溜していたと考えることは見易い理であるといわねばならない。

なお、高園の司法警察員に対する各供述調書には洩れていたのはメチルアルコールである旨の記載があるけれども、前掲各証拠に照らし、局方アルコールの誤まりと断ぜざるを得ないし、更に同被告人は当日発見したアルコール洩れは顆粒室内で作業に使用したメチルアルコールがこぼれたものである旨弁解するが(同人の当公廷の供述等)、板谷の供述、梶田の検察官調書等に対比し、とうてい措信できないし、これらにより前記認定に些かも疑問を生ずる余地はない。

(二)  錠剤中のアルコールの気化について

本件当日の午前中、被告人高園らが顆粒室においてメチルアルコールを使用し、アロミンの顆粒をなし、これら錠剤は乾燥室内の乾燥器に入れられて、同日午後一時ころから熱風乾燥を施された(滝沢、山田らの証言)ところ、アルコールを用いて練り固めこれら錠剤を乾燥する場合には危険防止のため、数時間の冷風乾燥(送風機によつて風を送るだけで、ガスバーナーには点火しないもの)を施したのち熱風乾燥することとなつている(高園の当公廷における供述)ことから考えて、充分な冷風乾燥を怠つた本件火災当日は、乾燥器内でかなり急速に錠剤中のアルコール分が気化したことは充分推認できるけれども、①乾燥器はいずれも鉄板製の巾員・高さともに一・八米のもので、内部の空気は排風ダクトによつて屋外に排出される構造であり(被吾人高園の供述、為我井昇の昭和三三年七月一七日付実況見分調書、北川市郎の写真撮影報告書)乾燥器二基のうち一基の下部に直径二糎程度の旧ガス管穴が存した以外は内部の空気が洩れるようなことはなかつたと認められること(高園の供述)、②熱風炉はいわゆる熱交換方式と呼ばれるものであつて乾燥室内の空気を熱風炉にとり入れ、これをガスバーナーの火で暖ためて送風機により送風するしくみになつており、乾燥室内の空気は屋根にガラリと称する空気の取り入れ口を設け、屋外から補給するようになつていたこと(高園の供述)に鑑み乾燥器中から気化したアルコールが乾燥室に洩れて引火したとは認められない。

(三) ガスバーナーよりの引火の可能性について

金庫脇通路上のアルコール滞溜地点からガスバーナーまでの距離は直線にして約二米六〇糎の至近距離ではあるが、その間には通路と顆粒室の境にガラス引戸があり、更に顆粒室と乾燥室との境にはトタン製の片開き扉が乾燥室内の西北端に設けられているため、ガスバーナーの火が右アルコールに引火するとすれば、気化したアルコールが空気との爆発性混合物を組成し、それが、右地点とガスバーナーの間の空間に帯状に滞溜することが必要である(徳永勲の証言)ところ、右混合気体がガスバーナーに到着するためには、右ガラス戸を通り抜けて顆粒室内に入り、左側の乾燥室との境界壁沿いに進み、左手に折れて左側に設けられた右開き扉を通り抜けるという複雑な進路を辿らなければならず、しかもその間の距離は優に三米を越すと認められる(前記実況見分調書、高園の供述等)から、かかる障害があつてもなお気化アルコールがガスバーナーの火に到達引火し、アルコール漏洩地点で着火燃焼する可能性がないとの弁護人らの主張は一応尤もであるようにも考えられる。

しかしながら、証拠によると①顆粒室と通路との境をなすガラス戸は、当時暑さのため開け放たれていたこと(板谷章の証言等)②乾燥室と顆粒室との境をなす開き扉は閉められていたけれども、これは閉めてもなお下部に相当の隙間があつたこと(梶田の検察官調書、なお高園の昭和三三年一〇月一〇日付司法警察員調書によると、熱風炉の吸込を良くするために二寸位の隙間を意識的に作つたことが窺われる。)③乾燥室内の空気の交流は前記(二)の②で述べたとおりであり、乾燥室の空気が送風機によつて屋外に排出される結果、顆粒室内の空気も乾燥室内に吸込まれるようになるのが自然であつて、このことは高園の同年一〇月一〇日付司法警察員調書に「熱風炉に点火してから扉を半開きにして置くと吸込のために扉が閉つてしまう」旨の記載があることからも充分推認できること(板谷章の証言)④局方アルコールは気化し易いもので、空気と容易に爆発性混合物を組成し、それに必要な量は空気一リツトル中同アルコール八二ミリグラムで足りること(金坂武雄の調査復命書(一))

等の事実が認められるから、当日午後一時から点火されたガスバーナーの火が午後四時過ぎに至り右アルコールに引火燃焼するということも徳永勲の鑑定のとおりあながち不自然なことではないのである。

従つて弁護人らの右主張は採用できない。

なお、板谷章が同日午後四時ごろ煙草の火を顆粒室南東隅の流し台付近に投げ捨てた事実が認められる(滝沢の証言及び司法警察員調書二通)のであるがこれが本件火災の直接の原因となつたかどうかは証拠上必らずしも明らかではなく当裁判所はこの点についての弁護人の主張を採用しないところであるが、附言するに、仮りに引火の火点がタバコであるとしても同工場は作業場において喫煙禁止等の措置が厳重に守られていたとも認められず(北川市郎作成の写真撮影報告書三三番目の写真)むしろ、当日における板谷章の行動等からみると、現にアルコール等を取り扱つている場合でない限り、喫煙することも被告人らにおいて黙認していたと認められるから、右のような煙草の火を流し台に捨てることも決して被告人らにとつて全く予想外の出来事とも言えないのであつて、かかる事態が予知しうるにも拘わらず、被告人らの前記漏洩アルコール等に関しなした行為は、本件出火の原因をなした行為と断ぜざるを得ないのである。(以上の諸点に関しては最高裁判所昭和三四年五月一五日第二小法廷決定、集一三巻五号七一三頁以下、同裁判所同三三年七月二五日第二小法廷判決、集一二巻一二号二七四六頁以下を参照)

二、本件における注意義務について

当裁判所は、被告人らの判示認定のようなアルコールおよびエスマルチン錠等に関する保管責任者として、いずれもコンクリート床上に流出滞溜していたアルコールおよび気化して空気中に混入していたアルコールを屋外に排出する等して、これらの引火による火災防止の義務があることを認め、被告人らにこれらの注意義務がないとの弁護人の主張は排斥したので、以下若干の説明を加える。

弁護人らは、被告人高園は同会社の代表取締役ではあつたが、それは対外的に会社を代表するに止まり、工場内部の作業に対する指揮監督や、原料・製品に対する管理責任を有していたことはないし、又被告人梶田は工場長ではなく、従つて製薬業務を直接指揮監督したり、原料・製品に対する管理責任を有していないとそれぞれ主張する。

しかしながら、前掲各証拠によると、進化製薬工業株式会社は、当時二十数名より成る小企業であつて会社内部の職制や作業分担は一応定めていたけれども(判示第二認定の事実)、元来被告人高園の個人経営が発展して会社組織になつたもので、同被告人は会社内部でも製薬の実務に最も深い知識と経験を有し、会社の進展と共に経営面に専従しなければならなくなつて来た本件火災当時にも、時折は顆粒室関係の作業に従事し、その際工員らの作業の指揮監督をしていたことが認められる(被告人高園の昭和三三年八月三一日付司法警察員調書、板谷章の証言等)から、同被告人がまだ工場内の労務管理、諸設備、原材料、製品等に関する管理責任を有していたと認めざるを得ない。しかし、同時に被告人高園は、自己の義弟であつて個人経営時代から製薬業務を補佐してくれた相被告人梶田を同社の工場長として工場内の労務管理や原材料、製品等に関する管理責任を同被告人に分掌せしめようとしていたことが認められる(被告人高園の当公廷の供述、板谷、山田、村上、田中らの証言)から同会社は完全に被告人高園の個人会社というべきものでもなく、企業の進展に伴う経営規模の増大と共に責任体制の確立した近代企業への脱皮を企図していた、いわばその過渡的段階とも言うべき状態であり、これら工場内の労務管理、諸設備、原材料、製品等に関する管理責任は、社長である被告人高園と工場長である被告人梶田とが上下関係はあるにせよ、共に有していたものと言わざるを得ないのである。弁護人主張の被告人梶田が日常は糖衣室関係の作業をしていたとか、工場長の辞令を貰つていないとか、工場長手当がなかつたとかの事実があるからと言つて前記認定を覆えすに足りない。

同会社の如き小企業では工場長が一介の工員と同様、労務に従事することは通常のことであるし(被告人高園でさえ労務に従事している。)、辞令を交付するとか工場長手当を出すとかの事実は、工場長たる職務の認定の本質的要素ではない。そうして、本件火災当日、被告人高園はアルコールの缶洩れを発見し、被告人梶田にアルコールを別の容器に入れ換えるよう指示し(梶田の検察官調書、高園の司法警察員調書)、被告人梶田は、板谷と共に入れ換え作業をしたのであるから、被告人両名は前記のようにアルコールの管理責任者として、すでに漏洩して付近の床上に滞溜し、更に気化して空気中に混入したアルコールについても、排出するように指示する等して、引火を防止する業務上の注意義務があること言うまでもないところである。

三、エスマルチン錠等の爆発の予見可能性について

本件火災が、短時間のうちにこれだけの犠牲者をだすほど火の廻りが早かつたのは、アルコールの着火燃焼した直後に、血圧降下剤エスマルチン錠および強力エスマルチン錠の不良半製品中に含まれた六硝酸マンニツトが爆発燃焼したためであることは前掲各証拠によつて明らかである。

弁護人らはエスマルチン錠等の原料である六硝酸マンニツトは爆発性の物質であるから、原料自体を保管していたばあいなら格別、エスマルチン錠等じたいは、他の薬品によつて希釈されているので、消防法火薬類取締法等にいわゆる爆発性危険物、あるいは火薬類に該当せず、行政的規制の対象となつていないのであるから、監督官庁が危険性を予知しえなかつたのに、被告人両名が危険性を予知しうる可能性がない旨主張する。

しかしながら、前掲各証拠によると、被告人らが昭和二九年ころから同三一年ころにかけて同工場において、血圧降下剤エスマルチン錠および強力エスマルチン錠を製造した際、主原料の六硝酸マンニツトが製造過程において変色し、納入不能の半製品を生じたが、これらを数万錠宛ブリキ缶に入れて、前記金庫脇の棚上に保管していたことが認められるところ、なるほどエスマルチン錠等の製品じたいがこれら行政的取締の対象とされていないことは主張のとおりであるが六硝酸マンニツトは爆薬中でも殊に爆発力の強いもので、アメリカにおいては工業用雷管の底装薬に使われているが、安定性に乏しいのと取扱いが危険なため、我国では過去殆ど実用化されたことがなかつた(金坂武雄の調査復命書(二))ので、六硝酸マンニツトの製造自体、我国において殆ど問題とされなかつたことを窺うに足り、六硝酸マンニツトを混入した製品等の危険性を考慮し、これらを取締の対としなかつたとしても、これによつてただちに被告人らにとつて、それら製品の危険性を予見し得なかつたとは言い得ないのである。

そうして、爆薬たる六硝酸マンニツトは、衝撃により分解反応を起して爆発することが知られているが、又摂氏一八〇度ないし一九〇度の加熱によつても分解反応の急進によつて爆発し、火炎を発するとされており(前記調査復命書(二))、このような六硝酸マンニツトの性状については被告人高園のみならず、同梶田においてエスマルチン等の製造過程に直接又は間接に携つたことから熟知していることが認められる(被告人高園はみずから爆発実験や燃焼試験をしたことがある―小野清利の証言、被告人梶田については同人の八月三〇日付司法警察員調書)。

又、エスマルチン錠等として製品化されたものについてはかなりの衝撃を加えても爆発するには至らないが、粉末については摂氏二五〇度、錠剤については四一五度の加熱により発火し、赤い炎をあげて勢よく燃焼し、殊に密閉容器中で加熱すれば爆発することが明らかである(前記調査復命書(二)、徳永勲作成の鑑定書)から、エスマルチン錠の不良品等を少量づつ壜などに入れて保管するなら格別、判示認定のように数万錠分を缶に入れて保管した以上、前記の発火温度を有する火気により開放容器のばあいには燃え上り、密閉容器においては爆発する可能性があることは前記六硝酸マンニツトの性状を知悉していた被告人らにとつて予見しえたことと言わねばならない。

(法令の適用)

被告人両名の判示所為中業務上失火の点は、それぞれ刑法第一一七条の二、第一一六条第一項、第一〇八条に、鈴木元子ほか一二名に対する業務上過失致死および滝沢肇ほか一九名に対する業務上過失傷害の点はいずれも同法第二一一条前段に該当するところ、以上は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから同法第五四条第一項前段、第一〇条により被告人両名につき最も重い業務上過失致死罪の法定刑に従い、所定刑中禁錮刑を選択し、所定刑期範囲内で被告人高園を禁錮一年六月に、被告人梶田を禁錮一年に処し、情状に鑑み同法第二五条第一項により被告人両名に対し、この裁判確定の日から各三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法第一八一条第一項本文により全部被告人両名の平等負担とする。

(弁護人の主張に対する判断)

(一) 訴因の追加が不適法であるとの点について

弁護人は、検察官が第二八回公判期日においてなした、業務上激発物過失破裂罪の訴因追加は、起訴状掲記の業務上失火等の訴因に全く別箇の事実を付加するもので、公訴事実の同一性を害するから不適法であると主張する。

そこで判断するに、起訴状掲記の業務上失火の訴因は、アルコールおよびエスマルチン錠等の保管上の過失により、アルコールに引火して本件工場を焼燬したというのであるのに対し、追加訴因たる業務上激発物過失破裂罪は、右エスマルチン錠等の保管上の過失により激発性のエスマルチン錠等をアルコールの引火により破裂させて本件工場を損壊した、というのであつて、両訴因を対比してみると、両者は共に、同一の機会における同一の過失を中核としていることが明らかで、両者は一所為数法の関係にあると認められ、このような科刑上の一罪の場合に公訴事実の同一性があることは明らかであるから、訴因の追加は適法であるというべく、この点に関する弁護人の主張は理由がない。

(二) 追加訴因について公訴時効が完成したとの主張について

更に弁護人は、前記追加訴因は、追加当時においては、犯罪終了後すでに三年を超えていることが明らかであるから公訴時効が完成しているものとして免訴の裁判をすべきであると主張する。

しかしながら、追加訴因たる業務上激発物過失破裂罪は、起訴状掲記の業務上失火罪と科刑上の一罪の関係にあることは前記のとおりであるから、右失火罪に対する公訴提起の効力は追加訴因にも及ぶと解され、従つて右追加訴因に対する公訴時効完成の有無は訴因追加の当時を基準として判断すべきものではなく、業務上失火罪に対する本件公訴提起の日を基準とすべきものであることは論を俟たない。そうして業務上激発物過失破裂罪の法定刑は三年以下の禁錮刑が定められ、その公訴時効期間は三年であつて、業務上失火罪と全く同じであるから、本件公訴提起の当時においては右業務上激発物過失破裂罪の公訴時効が完成していないことは明らかである。この点に関する弁護人の主張は理由がない。

(一部無罪の理由)

検察官は第二八回公判期日において業務上激発物過失破裂罪の訴因を追加したが、その要旨は「被告人らは進化製薬工業株式会社の代表取締役および工場長としていずれも同工場の原材料、製品等を管理していたが、原料であるアルコールは勿論半製品たる強力エスマルチン錠およびエスマルチン錠は爆発性の強い六硝酸マンニツトを含有ししているので火気を取り扱う作業場から隔離した場所に貯蔵所を設置して保管すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠たりガスバーナーから約二米六〇糎しか離れていない同工場倉庫北側通路にアルコール五ガロン缶四本位を保管し、それに接近した棚上に激発性の強力エスマルチン錠約四万八、〇〇〇錠ないし八万錠、及びエスマルチン錠一〇万錠ないし二〇万錠をブリキ缶に人れたまま放置したのにかかわらず流出したアルコールの後始末をしないで放置し且つ右アルコールの一缶からアルコールが洩れていた過失により、昭和三三年七月一五日午後四時過ころ、通路上に滞溜したアルコールがガスバーナーの火より引火して燃焼し瞬時にして前記エスマルチン錠等に含有された六硝酸マンニツトが誘爆発し、もつて激発物を破裂せしめ、よつて同会社工場一棟を損壊した。」というのである。

よつて判断するに、前掲各証拠によると本件火災が強力な爆風を伴い、出火地点付近のコンクリート床が直径約二米にわたつて陥没していること、同所付近にはエスマルチン錠等以外に爆発性の物質が存したと認めるに足りる証拠がないこと、エスマルチン錠等は強力な爆薬である六硝酸マンニツトを約七・一%ないし一四%含有し、判示認定のとおりこれら錠剤一五万錠中には六硝酸マンニツトが約六・五瓩含まれ、密閉容器中で加熱するばあいにおいては爆発する可能性があること、が認められるから、これら錠剤が刑法第一一七条第一項にいわゆる激発物に該当することは明らかである。しかしながら右エスマルチン錠等が爆発したのは、被告人らの失火行為を原因としたいわば失火による火災の過程における出来事であつて、被告人らに判示認定のようにエスマルチン錠の保管に過失があつたことは本件火災を拡大した一つの原因となつたことは否定できないが、右の過失が直ちに激発物破裂行為となるわけではない。これを要するに被告人らのエスマルチン錠等に関する保管義務違反は本件火災拡大の原因ではあるけれども、激発物破裂の原因をなす行為とは認め難く、又前記漏洩アルコールに関する過失は本件出火の原因でこそあれ、激発物破裂の原因をなす行為とはいい難い。それ故結局犯罪の証明がないことに帰するが、本件激発物過失破裂罪は業務上失火罪等と一所為数法の関係にあるものとして訴因の追加がなされたものであるから主文において無罪の言渡をしない。

(量刑の事情)

本件の情状につき考察するに、被告人らの過失により死者一三名、負傷者二〇名を出す大惨事を惹き起し、当時の社会を不安に陥し入れると共に、被害者やその遺族を悲嘆のどん底に押しやつたその結果はまことに重大で、ことに被告人高園が事業の進展のみに心奪われず、保安設備や労務管理への配慮を怠たらなかつたならば、これほどの大惨事には至らなかつたであろうと思われるにつけ、同人の罪責は重大であると言わなければならない。しかしながら本件をしさいに検討すると、(1)被告人両名が本件アルコール缶の扉洩に気付きながらそのまま放置していたわけではなく、別の容器に入れ換える等一応の処置を尽していること、(2)被告人両名の過失が本件出火の唯一の原因ではなく板谷章にも過失が認められること、(3)ことに本件火災の拡大の原因となつたエスマルチン錠等に関し、その危険性を認識しなかつた過失は、さほど大きいものとは言えないこと、(4)本件火災の結果、工場の諸設備を失つた被告人高園としては、本件被害者及びその遺族に対し、一応最大限度とも思える慰藉の措置を講じ、負傷者の一部については現在も生活を保障していること、(5)被告人高園は現在製薬工場を再建したが、二度と本件事故をくり返さないよう充分の注意を払つていると認められること、(6)本件長期に亘つた審理期間中、被告人両名は一度も欠席することなく、その間改悛の情も顕著であると認められること、(7)本件起訴が事件後三年近くを経て後になされ、又審理にも約三年を費し、その間本件に対する社会感情も薄らいだことは否めない事実であり、被告人らもかような長期間の捜査および審理の経過を通じて、本件の責任の重大性と刑罰の威赫性への認識を高めたと認められることなど諸般の事情を考慮すると、前記のような結果の重大性にも拘わらず主文の刑を量定するのが相当である。

よつて主文のとおり判決する。(裁判長裁判官高橋幹男 裁判官小泉祐康 長谷川正幸)

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